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仏事について

戒名について

戒名は戒律を守り仏道修行に入った出家者だけに贈られたものでした。その為一般の人には厳しすぎて、なかなかいただけるものではありませんでした。今日では儀式、または一定の講習に参加した人に授けられるようになっています。死者に贈られる名前のように考えられがちですが、本来は戒律を守り仏弟子となった証としてつけるものなのです。宗派によっては戒名と言わず、法名や法号と呼びます。親鸞聖人は「何一つとして戒を守れない凡夫だから、弥陀の誓願によってのみ救われる」との教義を打ち立てましたので、浄土真宗に戒名はありません。仏弟子になるには「おかみそり」を受け、「法名」をいただきます。また、日蓮宗では法華信者は霊山浄土に生まれるとされるため、戒名よりも「法号」という事が多いようです。戒名や法号は二文字で表されます。どんなに身分の高い人でも二文字で、仏の世界は平等である事が表現されています。しかし、お位牌に書かれた戒名は、院号、道号、位号などのすべての戒名とけとられ重々しく長いものが良いと考えられがちですが、本来戒名は二文字だけですから関係の無い事なのです。

まず院号(もしくは院殿号)とは生前に一寺を建立するほど寺院につくすとか、社会的に高い貢献をした人につけられます。ただ戒名料を多額におさめたからといってつけられるものではありません。

道号とは戒名の上につけられるもう一種類の名です。分かりやすくいえば、号とか字(あざな)にあたるものです。歌人や俳人が別名を持っているようなもので、中国にこの道号が生まれ、日本に伝わってから戒名の上につけられるようになりました。

位号とは戒名の下につけられている「居士」とか「大姉」という文字の事です。性別・年齢などによって違いがあります。種類については以下をご参照下さい。

成人男子大居士・居士・大禅定門・禅定門・清信士・信士(清浄土)など
成人女子清大姉・大姉・大禅定尼・禅定尼・清信女(善女)・信女(清浄女)など
男の子供
15歳くらいまで
童子・大童子・禅童子 など
女の子供
15歳くらいまで
童女・大童女・禅童女 など
男の子供
5歳くらいまで
幼児・嬰児・孩児 など
女の子供
5歳くらいまで
幼女・嬰女・孩女 など
真言宗位牌の上部に大日如来の種子である梵字の(ア)を記します。等しく大日如来の弟子であることを表しているのです。
浄土宗誉号は、五重相伝という法会を受けた人に与えられていましたが、最近は受けていなくても与えられる事があるようです。
浄土真宗本願寺派
・真宗大谷派
釈号をつけます。これは東晋の道安が仏弟子となれば、みな釈迦の性を唱えるべきとして自ら「釈道安」と号したのが始まりです。
日蓮宗日号は、お寺や宗派に貢献した人に与えられるものでしたが、最近は社会的に功績のあった人に与えられるようです。

お盆法要について

お盆という言い方は盂蘭盆会を略したものです。これはインドで使われている言葉の一つであるサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものです。お盆の始まりについては盂蘭盆会での親孝行の大切さを説いた教えが知られています。お釈迦様の弟子の中で、神通力一番とされている目連尊者が、ある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされ苦しんでいると知りました。どうしたら母親を救えるのか、お釈迦様に相談に行きました。するとお釈迦様は「お前が多くの人に施しをすれば母親は救われる」といわれました。目連尊者はお釈迦様の教えに従い、夏の修行期間のあける7月15日に多くの僧たちに飲食物を捧げて供養したのです。その功徳によって母親は、極楽往生が遂げられましたと言うお話です。それ以来(旧暦)7月15日は、父母の先祖に報恩感謝を捧げ、供養をつむ重要な日となったのです。日本では、推古天皇の14年(606年)に、お盆の行事が行われたと伝えられています。お盆の行事は、各地の風習などが加わり、宗派による違いなどさまざまですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています(浄土真宗では霊魂が帰ってくるとは考えない)。日本のお盆は祖先の霊と一緒に過ごす期間なのです。

月おくれ盆

今では8月15日を中心に、ひと月遅れの盆行事をするのが最も盛んなようです。これは、明治になって新暦が採用されると、7月15日では当事国人の8割を占めていた農家の人たちにとって、忙しい時期と重なってしまい都合が悪かったからです。そこで、お盆をひと月遅らせ、ゆっくりとご先祖様の供養ができるようにしたわけです。

盆踊り

最近では宗教的な色合いは薄れてきましたが、元来盆踊りは、戻ってきた精霊を慰め、送り出すために催されてきました。また、戻ってきた霊が供養のお陰で成仏できた喜びを踊りで表す、と伝えられている地方もあります。私たちが、先祖に感謝して生きていることの喜びを表現するために踊ると考えても良いでしょう。

精霊棚

多くの地方では、ご先祖様の霊を迎える精霊棚を8月(7月)13日の朝につくります。精霊棚は盆棚とも言われ、位牌を安置しお供えする棚です。ナスでつくった牛や胡瓜の馬が供えてあるのをよく見かけますが、これはご先祖様の霊が牛に荷を引かせ、馬に乗って行き来するという言い伝えによるものです。

迎え盆・送り盆

13日の夕方か夜に菩提寺とお墓に参り、祖先の霊を迎えます。これを精霊迎えと言い、この時に霊が迷わず帰ってこられるように焚くのが迎え火です。地方によってはお墓からの道筋に、たくさんの松明を灯すところもあります。そして、16日は送り盆で、お盆の間一緒に過ごした祖先の霊を送り出すことを「精霊送り」と言います。この時に送り火を焚く事も広く行われています。京都の大文字焼きも送り火の一つなのです。

迎新盆

故人の四十九日の忌明け後、初めて迎えるお盆を新盆といいます。アラボン、ニュウボン・アラソンジョ、ニイジョウロ、ネジョウレイなどと呼ぶこともあります。普段のお盆よりも手厚く供養するのは、人の情として自然な事で、新盆には親戚や縁者から盆提灯が送られます。地域によって異なりますが、何も絵柄のない白張提灯を新盆の時だけ使い、送り火で燃やしたりお寺へおさめたりする風習があるようです。毎年のお盆には秋草の模様などの入った提灯を使います。

お彼岸法要について

彼岸という言い方は到彼岸を略したものです。これはインドで使われている言葉の一つサンスクリット語のパーラミター(波羅蜜多)を訳した言葉で、文字通り彼岸へ到着するという意味です。彼岸とは悟りの世界を意味し、迷いや苦悩に満ちたこちら側の岸(彼の岸)、つまり極楽浄土のことを指しているのです。では、どうしたら極楽浄土の岸へ渡れるのでしょうか?

仏教には六波羅蜜の教えというのがあります。布施(人に施しをする事)、持戒(戒を守り、反省する事)、忍辱(不平不満を言わず、耐え忍ぶ事)、精進(精進努力する事)、禅定(心を安定させる事)、智慧(真実を見る智慧を働かせる事)という徳目は本来なら毎日心がけるべきなのですが、日頃は忙しくて実行できないので、せめて春と秋、年に2回くらいは実践しようというのがお彼岸法要の意味です。お彼岸には、ご先祖様のお墓にお参りをし、感謝と冥福を祈るとともに六波羅蜜の教えを実行したいものです。

彼岸法要の始まり

日本で最初に彼岸法要(講仏会)がおこなわれたのは今から約1200年前のことで、諸国にあった国分寺の僧侶が春と秋の2回、中日をはさんで前後3日間の計7日間にわたり、仏を讃えてお経をあげたと伝えられています。それから一般の人にも、お彼岸の作法として供養する事が広まって行きました。

彼岸会のお寺の行事

お寺では彼岸会の法要がお彼岸の時期に営まれます。読経や法話などが行われますのでお墓参りの折にはお寺の彼岸会にも参加してご供養をお願いします。忙しくて時間がない場合でも、本堂のご本尊へのお参りとご住職への挨拶は欠かさないようにします。

夕日を拝めば浄土を拝む

お彼岸は年2回、太陽が真東から真西に沈む春分・秋分の日を中日にして行われます。そこから、この日に夕日を拝むということは、西方にある浄土に向かって拝む事になるといわれ、中日に夕日を拝むと特に功徳があると考えられているのです。

春の牡丹餅・秋のおはぎ

牡丹餅とおはぎは、お彼岸のお供えにはかかせないものです。両方とも、蒸した餅米とあんこの同じ素材でつくられる食べ物ですが、季節の花になぞらえて春のお彼岸にお供えするのが牡丹餅で、秋にお供えする場合はお萩と言います。

寿陵(生前墓)について

生きているうちにお墓(寿陵)を建てる人が増えています。見たこともある人も多いと思いますが、朱色で名前や戒名が刻まれているお墓が寿陵です。古来中国では、生前にお墓を建てることが、長寿を授かる縁起の良いとされてきました。古書にも寿蔵、寿穴、寿堂などとかかれ、秦の始皇帝をはじめ、寿陵を建てています。最近では縁起の為だけではなく、子供に負担をかけたくない、自分の気に入った墓碑銘や石、場所などを選びたいという人が寿陵を建てているようです。

寿陵の意味

寿陵の寿という字は、“ジュ”と読んで、長寿・長命など、命を長らえるという意味で使われます。また“ことぶき”と読むときには、おめでたい祝いごとを表します。そして陵は“みささぎ”と読み、中国では古くから皇帝の墓という意味で使われてきました。日本でも天皇の墓を御陵と呼んでいます。

寿陵墓は縁起が悪いのか

生きているうちにお墓を建てると早死する、または悪い事が起きるという人も多いようですがそれは迷信です。寿陵の寿の字が示すように「家に幸せをもたらし、長寿が約束される」といわれ、大変おめでたい墓です。仏教の教えにおいても、寿陵を建てることは逆修、即ち生前、「自分の為に仏事を営み、冥福を祈ること」を為すことになります。逆修は善根を導き、それによって功徳がもたらされます。功徳はさらに、子から孫へと残すことができ、未来の繁栄と幸福につながると言われています。今までは、身内が亡くなった後、法要等にあわせてお墓を建てる人が多かったですが、お墓をいつ立てるべきかについて仏教の教義の上でも決まりがありません。思い立った時こそが、お墓購入の最良の時期といえます。生前に自分の寿陵墓を建てることも選択肢の一つです。